ノクターン(夜想曲)

▶︎ 命の水の泉から

 昔から憧れだったショパンの“ノクターン”を習い始めている。

ショパンの“ノクターン”は数多くあるが、これは映画“愛情物語”のテーマ曲だったので、誰でも知っているものだ。ショパンの作品の中では易しい部類に入るのだろうが、それでも私の技量では、譜を読むだけでも大変で、先生が許してくれるのをいいことに、カタカナでラとかファとか書き込んでようやくフラット三箇所の場所をまちがえないで、弾けるようになった。弾けるというと、おこがましい。音を出しているだけかもしれない。

 それでもメロディが奏でられるから、あの懐かしい思い出に浸ることができる。

 私が小学校低学年のころ、近所に東京女子大に入学してきたばかりの富士子姉さまと慶応大学の医学部に通うお兄さんが越してきた。お家は千葉のお医者さんということだった。 通学に遠いので、東京女子大の近くの私たちの家の近くに間借りしたという。

 私はよく富士子姉さまの家に出入りし、彼女に纏わりついていた。五才違いの姉とはまた違う大人として、私をかわいがってくれた。 おいしいクリームシチューを作ってくれたり、お話をしてくれたりした。心に焼きついているのはグリム童話、とくに“ブレーメンの音楽隊”の話だ。

アイロンをかけながら、声色を使って私を夢中にさせた。その富士子姉さまがいつも弾いていたのが、シャンソンの“暗い日曜日”、そしてこのショパンの“ノクータン”だった。“暗い日曜日”については、

「弘美ちゃんも大人になったら、この気持ちがわかるわよ」

私には謎のような言葉だった。今思うと彼女は失恋していたのかもしれない。

富士子姉さまが“ノクターン”を弾くたびにいつの日にか、私もこれを弾いてみたいと思っていた。でも私には難しくて手に負えないだろうと思っていたのが、なんとか、譜をみて、音をつなげることができるようになったのだから、嬉しい。ただこの曲がきれいだからだけではない。この曲から、富士子姉さまとの幼い日々が蘇えってくるからだ。

今晩もピアノの先生がレッスンにくる。先生に模範として弾いてもらうと、その違いに驚く。先生が弾くと、本当に夜想曲になるのだ。同じピアノなのにどうしてこのように違うのだろうか。同じ楽器でも弾く人によるということがよくわかる。そして前に説教で聞いた話を思いだした。私たちは神様の楽器であって、主に入っていただくことによって、すばらしい楽器として、神様をたたえる生きる方ができるということだ。

ピアノのほうはあきらめるとして、私自身を神様に使っていただくことはできる。

少し元気がでてきた。

「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中にもっている 第二コリント4-7」

 


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