敬虔な浄土真宗の信者だった父が愛読した「荒野の泉」

▶︎ 隊長ジャーナル

スーツケース1つ持ってロサンゼルス国際空港に降り立ったのは今から44年前。あれから本当に持ち物が増えましたが、それらをキープするわが家の広さはいっこうに比例しません(汗)。

数年前からいわゆる断捨離というのをやっていしたが、コロナ禍以来、いつ召されても良いように身辺整理にも拍車がかかっています。

売れそうな物はこちら(アメリカ)のオークションサイトに売り出し、キリスト教関連の書籍、DVDなどは開拓教会に寄与。その他、「ときめかない物」はすべて処分。あと数ヶ月で身辺整理が完了しそうな感じです。

敬虔な浄土真宗の信者だった父が愛読した「荒野の泉」

で、古い書籍棚を整理していたら父(1983年死去)が通読していた「荒野の泉」(レテー・バード・カウマン (著)、山崎亭治 (著)が出てきました。(この書籍は高校生の時に救われた兄が父にプレゼントしたものでした)

装丁もバラバラになりそうなくらい傷んでいて、50年前の印刷物なので、ところどころ禿げ上がって読めない文字もありました。

父は敬虔な浄土真宗の信者で、そこいらの若い僧侶顔負けのお経を読み。同じ町内のお葬式では焼香だけでなく、父自ら読経をしていたほどでした。

この「荒野の泉」どのページにも父が赤エンピツでマークした箇所がちりばめてあり、仏教徒の父が異教徒の日々の霊的な糧をフォローしていた事に感動を覚えました。

そして先週、父の形見の「荒野の泉」をバラバラになりそうなページを補強し、布のカバーを付けました。

僕も今年からこの「荒野の泉」をディボーションの道しるべとし、聖書のみ言葉、詩、そして、父が赤エンピツで記した箇所を咀嚼し反芻したいと思います。

「神と共に一日を始めよ 彼は太陽でありまたその日でありたもう 彼の輝きはなが夜明けになれば なが方針を彼に告げまつれ」ホレーシャス・ボーナー

NCM2隊長



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