聖餐をする機会のない人たちに聖餐式をしなさい。

▶︎ 主を思う・・

それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。ルカによる福音書22章19-20

辻本清臣牧師は、北米ホーリネス教団のロサンゼルスホーリネス教会に赴任された40年以上も前から、私たち夫婦を育ててくださったお方です。

辻本先生に、私が初めて洗礼式を執り行ったことを報告した時のことです。“聖餐式もしなさい。聖餐にあずかれない人たちのために携帯用の用具をもっていきなさい”と言われたのです。

「寂しく死んでいく方々に“神の福音”を語り、洗礼を授けたい」という私の思いが、分不相応な“按手礼”を受ける結果になり、そして、(くすしきも)その按手礼を受けた翌日に、私から洗礼を受けたいという人が現れたのです。

そして、その方の洗礼式を日本で聖公会のマルコ教会を借りて執り行なうことができたのですが、聖餐式のことは少しも考えていませんでした。

数日後、私たちの家で“誕生日会”がもたれた時、辻本先生から“はい”と言って、紙袋を渡されたのです。何かと思ったら、それがこの「携帯用の聖餐式用具」でした。先生は、私が聖餐式をあまり重要視していなかったことに気がついたのだと思います。

「聖餐式」は、イエスさまの遺言です。イエスさまが十字架にかかる前に弟子たちに語られた“このようにしなさい”という遺言です。イエスさまの十字架を思い起させるための“シンボル”です。しかし、カトリック教会の信者にとっては、それは単なる“シンボル”(象徴)などというものではなく、具体的な“聖体”(イエスさまの肉片、血液)と考えられているのです。

秘跡

カトリックの信者さんは、「秘跡」を大切にします。もし、私がカトリック信者の家に生まれていたら、自動的に“カトリック信者”とみなされるらしいのですが、カトリック教会の信仰は、「秘跡」を通しての信仰です。その中でも、「ミサ」(聖餐式)が最も重要、不可欠な「秘跡」とみなされています。

数年前に長崎に行き、浦上天主堂を訪ねる機会がありました。そこに集まる人たちは、(当時)土曜と日曜あわせて1200人ほどだそうでした。

かつては2000人だったけど、減少しているとのことです。浦上天主堂は、生きている教会でした。信者さんたちは、聖体を受けて、“主が共に居られること”を体験されているのです。

カトリック教会が大切にしている「秘跡」とは何かということですが、秘跡とは、カトリック教会の用語で、「キリストの神秘を目に見える形で“現在化”する特別な儀礼」です。

「イエス・キリストによって制定され、教会にゆだねられた、神の恵みを実際にもたらす“感覚的しるし”」とのことです。かつては「秘蹟」とも書かれていたとのことです。(参照:ウィキペディア)

カトリック信仰がプロテスタントと違うのは、「秘跡」が単なる“式”(シンボル)ではなく“信仰体験”だということです。見えないものを“形によって”見るということですね。

死の前に恐れおののく方に“福音”を伝え、“信仰”を与える「洗礼式」、ある人は、それで十分かもしれませんが、更なる信仰体験を求める方々には、言葉ではなく、イエス・キリスト(の贖い)を味わう「聖餐式」も天らいの恵みになるということだと思います。そして、安心して、み国への希望にみたされれば幸いです。

“これは、主イエスが(あなたの為に)裂かれた「肉」です。”“これは、主イエスが(あなたの為に)流された「血」です。” 味わいなさい、そして、イエスさまと一体になりなさい”と祭司は告げるのです。

ロバート・イー


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Posted by SANBI.us