優しい心はどこから来るのでしょうか? 映画 The Doctor(邦題:ドクター)

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この1991年の映画 「The Doctor(邦題:ドクター)」は、私の心にいつまでも残っている作品のひとつです。

主人公は、非常に技量に長けた自信満々の心臓外科医ですが、患者を物か何かのように扱う医者でした。ところが、自分が喉の癌になったとたんに医者ではなく、患者になります。そして、ようやく患者の気持ちがわかってくるようになるのです。

その映画の中で、心臓移殖を待っていた家族に、移殖する心臓がもうすぐ来ると告げたとき、その家族がスパニッシュで何か言いあっているので、彼が何を話しているのですかと訊くと、「よく優しい心(kindhearted=優しい心臓)というので、“移殖される心臓は、優しい人のものだったのか?”と訊いているのです。」と答えます。

おもしろい発想だな~と思いました。人の優しさは、その人の心臓から来る。

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(新改訳第3版、エペソ人への手紙 4:32)

K先生に「君に初めて会った時、“怖い人”だと思った」と言われました。私は、クリスチャンになった後でも、周囲に(家族にも)そういう雰囲気を与えていたようです。

確かに、私は、“クリスチャン的な優しさ”をあまり評価していませんでした。それが、見せかけの“優しさ”であったり、お互いの失敗を見過ごすことを“赦す”という言葉にすりかえてしまったりしていることがあるからです。そんなことなら、いっそ怒りを表してくれた方がましだと思ってしまいます。

私は、ダメなものはダメ、間違いは間違いとはっきり言いたいのです。だってそうなんですから。・・・どうもそれがいけないようです。日本では、ネガティブなことは、はっきり言ってはならないようです。

でも、そうしないと改善できないでしょう。本人が気がつけばいいのですが、周囲の善意の中で少しも改善されないことが多いじゃないですか?

聖書が語る“優しさ”って何でしょうか?

聖書が語る“優しさ”って何でしょうか?それは、相手にとらわれない“優しさ”じゃないかなと思います。

私たちは、優しい人には優しくなり、意地悪な人には、意地悪になります。私にとって、一番嫌いな人は「慇懃無礼」(いんぎんぶれい)」な人です。

口では“親切”そうなことを言っているけど、心では助けてやろうなどとは全然思っていない。そういう人に出会うと、ぶっとばしてやりたくなります。

でも、(自分にはできないのですが)たとえどんな人に対しても“優しさ”を失わない、そういう人になることをイエスさまは期待しているようです。

そして、クリスチャンの最終的な品性は、この“優しさ”の中にあるのかなと思わされています。

イエスさまは、何も悪いことをしていなかったのに、十字架にかけられ、人々から蔑まれ、罵倒されました。なのに、「父よ、彼らを赦してください。彼らは何をしているのかわからないからです」(ルカ23:34)と言われました。

これは、神さまへの執成しの祈りですね。「敵を愛しなさい」というのは、単なる教訓ではなかったということです。

ロバート・イー


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Posted by SANBI.us