花火に例えられる私達の束の間の人生〜芥川龍之介の短編、舞踏会より

▶︎ 命の水の泉から

我が家で見た独立記念日の花火

アメリカの独立記念日が終わり、前後して毎晩聞こえていた花火のすさまじい音がようやく今日になって聞こえなくなりました。

この家に引っ越してから2年経ちますが、毎年この時期、教会の修養会で在宅していなかったために、今回初めてこの家で7月4日を過ごすことになったのです。

驚きました。薄暗くなり始めた6時ごろから、あちこちから花火の音が聞こえ出し、四方の空が花火だらけなのです。新型コロナウイルスの感染防止のためにいつも行われる自治体での花火大会は中止されましたのに、個人で花火を上げているのです。しかも日本のように家庭でやる花火とは違って空に大きく打ち上げていました。

近所の人達が椅子を家の前に出して見ていると思ったら、なんと我が家の中からも十分に見えました。どのくらいお金を使っているのか、絶え間なく、打ち上げられて、その音がとても大きく、赤ちゃんなどは耐えられないでしょう。

日本やディズニーランドは違ってただ大きく、音がすさまじく、色がきれいなだけでした。あとで、日本の花火の動画を見ましたが、なんと日本の花火は優雅な事でしょう。

芥川龍之介の短編、「舞踏会」

花火を見ていつも思い出すのは鹿鳴館時代の舞踏会を書いた芥川龍之介の短編です。17歳の主人公の明子が父親に連れられて初めて鹿鳴館での舞踏会に招かれ、出席します。

会場にはいろいろな菊の花が美しく咲き乱れていました。明子はそこで出会った仏蘭西(フランス)人の海軍将校にダンスを誘われ、一晩中、一緒にダンスを踊って過ごすのですが、なにげなく二人の中に漂う淡い恋が美しく描かれています。

夜の庭園で黙って花火の上がっている空を仰ぐ将校に、明子が「お国の事を思っていらっしゃるのでしょう。」とききます。<ちょうど、赤と青の花火が、蜘手に闇を弾きながら、まさに消えようとするところであった。>と書かれています。

<明子にはなぜかその花火が、ほとんど悲しい気をおこさせるほどそれほど美しく思われたのでした。>その将校は、明子の質問に「私は花火の事を考えていたのです。われわれの生(ヴィ)のような花火の事を」と答えました。

何十年もたって小説家の青年が老人になった明子と汽車の中で乗り合わせます。その時、その青年が訪ね先にもっていく菊の花束を見て、彼女はその菊の思い出として、若き日の舞踏会の話をしてくれたという短編です。

この中の言葉、フランス語でいうヴィ(生)のような花火、というのがこの小説の決め手でしょう。花火はあっという間にその美しさをみせて散ります。私達の人生もそうですね。ついこの間、結婚し、ついこの間子供が生まれ、そして、・・・・

でも聖書の詩篇にありますように私は一つの事だけを願います。

命のある限り、主の宮に宿り、
主を仰ぎ望んで喜びを得、
その宮で朝を迎えることを
詩篇27:4

竹下弘美


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