美しい日本 

▶︎ 命の水の泉から


御言葉をのべつたえなさい、時が良くても悪くても

第2テモテ4:2

 
今回の訪日の目的のひとつは母の兄嫁である伯母を訪ねることだった。伯母は山梨の甲府市にいて今年九十四歳になる。最後に会ったのは父のお葬式の時だから、もう二十年も会っていない。昔、私と姉、母は毎年夏休み、甲府の母の実家に居候したものだった。そこには、祖母と伯父、伯母が一緒に住んでいた。そのころ伯父伯母の家は祖父の代からの洋装店をしていて、裏に工場があり、何人もの縫子さんたちが、注文の洋服を縫っていて、大変な賑わいだった。
家族だけでも子ども四人を入れて七人、そこに私達三人が押し入ってたぶん二週間ぐらいはお世話になったと思う。大人になってから考えると、伯母の苦労は大変だったと察せられる。お店をしながら食べさせてくれるだけでも大変だったろう。私達にとっては四人のいとこ達との楽しい夏だった。あの時のお礼を生きている間に伯母に言いたい、それが私の願いだった。
何年も音信不通の従兄に電話をすると、伯母は昨年から介護施設に入居したという。すぐ、手配してくれて、翌日甲府駅まで、昔私を妹のようにかわいがってくれた従兄が車で迎えにきてくれることになった。「でもこのごろ少しぼけてきたからわからんかもしれんよ」と従兄に言われた。
幼い頃、東京から鈍行で四時間もかかった甲府行き、そのメモリーレインをやはり、鈍行で行きたいと朝遅い鈍行に乗った。昼の鈍行に乗る人はほとんどいなかった。桃畑が一面に広がる。勝沼の駅の前は桜。昔は汽車が着く度に駆け寄ってきた駅弁売りの姿はどこにもない。五十年も前のことだからそれは当たり前かもしれない。たった二時間で着いた。
従兄に会えて、三十分ほどで甲斐市の伯母の施設へ。伯母はその朝熱があってお医者さんに診てもらってきたと病室に入れられていた。皺はあるが昔と同じ顔。「私のことわかる?」「わかるさ、弘美ちゃん? よく来てくれたね」昔と同じ声、ほとんど目をつむったままだったが、応対してくれた。
「長生きしてもみんなのご厄介になるばかりで」「そんなことないさ」と従兄。「叔母ちゃんは元気?会いたいね」と母のことをきいてくれる。「もう年をとって、いろいろ忘れたさ、これが最後だね」昔のお礼を言う事ができた。来る途中で従兄が創価学会で三十年活躍している事を知ったので、帰り際に少し躊躇したが、従兄に「お祈りしてもいい?」ときいた。「いいさ、いいさ」
かつて若い頃、一時キリスト教会の門を叩いたこともあった伯母。その手をとって祈った。伯母は私の手を二つの手で包んで一緒に祈った。
「神様、伯母ちゃんと共にいてください。平安な毎日を送らせてください」
外に出ると、山がくっきり美しく見えた。
竹下弘美

 


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